父 絵師 米倉斉加年 私が生まれる前から父は描いていた アトリエはなく 居間や舞台の楽屋などで描いていた 私が物心つく頃には 舞台の旅公演で殆ど家に居ない父 わずかな父と過ごした時間の記憶は 当時広くはないマンションの居間で 絵を描いている姿 観ていた筈なのに観ていなかったのか 知らず見ていたのか 米倉家にはいつも父の描いている絵があった 今になって思い出せば完成された絵ではなく 描いている過程の絵があった 子どもの頃は父の絵が怖かった 小学生の頃から父の事を隠すようになり 中高大時代は父の絵に劣等感を持っていた 尊敬と隣り合わせの劣等感 kanoの絵は作品の中でもかなりの数になる モデル当人である私は、、今更である 父の絵を辿る度に
kanoに出会い
何故こんなに沢山と途方に暮れながら
父にありがとうを伝えていなかったコトに気付いて涙が溢れる 絵を辿るコトで気がつく 父が絵を描く姿をすぐ横で見ていた沢山の時間があった筈なのに 何故こんなにも何も知らないのだろうかと 絵の凄さが 何も知らない初めて観る絵の様に 感じる 米倉斉加年の絵を眠らせてしまう訳にはいかない そう思いながら沢山の作品たちに戸惑い 途方に暮れ 足踏みをしていた 米倉斉加年は売る絵を描いていた 絵本となり 装丁になりポスターになり切手になり 新聞の挿絵となり スカーフや着物にまでなり、、 原画は頻繁な個展の開催で手元を離
れているが 版画として残っているモノも多い 手元を離れた作品までをどう辿るか kanoですら全て集められるのか? 作品数はどの位あるのか? それでもいい 米倉斉加年が絵師として生き産み続けた作品が多くの人に届いて 生き続くように 紐解いて、、 探し続けて 伝え続けたいと思います。